今日はなんだか空気がちがう。頭上にはいつもとかわらない太陽のまぶしい青空が広がっているのに、私は酸欠のトサキントにでもなった気分だ。息苦しくてたまらない。酸素の足りない水槽の中のような観覧車のカゴのなかで、ヒレを動かす気にもならない。隣を覗きみるが、それは彼も同じだったのかもしれない。いつもは絶やさない笑顔も今日に限ってはたった数分で飽きてしまったようで、今は手元のライブキャスターを所在なさげにつついている。私は画面の向こうじゃなくてあなたの左隣にいますよと言ってみたかったけど、まるで見当違いだったら居心地が悪いので思っただけで、口には出せなかった。ふと思い立って少しだけ体を右に寄せてみると、彼も同じだけ右に寄った。観覧車は狭くないよ。ただ近寄ってみたかったのだけど、言葉なしでは通じないのも無理はない。どうやら誤解を生んだようだったが今更言い訳するのもむなしくて、私は黙りつづける。彼も。あまりにも静かに潜みすぎて、ふたりとも眠ってしまったような気がした。観覧車の中の時間はゆっくりと流れすぎていてまるで止まってしまったか、止まらなくなってしまったかのようだ。外では雲がずっと同じ速度で流れている。あんなに願ったこの時間が恐ろしくて仕方がなくて、こんなつもりじゃなかったのになあなどとつぶやこうとしている。身じろぎの音くらい観覧車の軋みがかき消してくれるのに、動いてはいけないと脅迫されているようで小指一本でさえ私の自由にはならなかった。ひとりじゃないのに、腰にはポケモンだっているのに、こんなにさみしいのはいつ以来だろうか。テツくん。テツくんはさみしくはないのかな。「テツくん」緊張した喉からは変な音が出た。「メイさん」彼は待ちかまえていたように、ゆっくりと私の名前を発音した。「どうしたの?」いつもより丁寧に喋る声に違和感以上の安心を覚えて、肩から力が抜けていくのが分かった。「べつに、なにも」テツくんがこちらを振り向くのを視界の端で確認する。わざとらしかっただろうか。「そう? 今日はメイさん、元気がないみたいだったから…ちょっと心配しちゃったよ」何もないならよかった。そう言って笑うテツくんはいつも通りで、いつもライブキャスター越しに見ている彼そのもので、私はしばらく自分が顔を上げていることにも気付かず彼の顔に見とれていた。気取ったところのない表情をしたテツくんは「えーっと」と意味のないことを繋ぎにつぶやきながら、ライブキャスターの画面を親指で擦っている。「メイさん、観覧車、飽きた?」意を決したようにそう訊いた後、テツくんは何をごまかしたいのか早口に「そうだよね、毎回乗ってるもんね」「ただ座ってるのって退屈だよね!」「ごめん、付き合わせちゃって」とまくし立ててうつむいた。私としては、彼と観覧車に乗っているだけの時間はとても有意義なものと思っていたから反論のひとつでもしてやりたかったが、今日がこんな有様だったから、言い出しづらかった。「どこか、ほかのところ」小さく聞こえた声に、少し期待してしまったのもある。けれど待てども彼はうなるばかりで提案などひとつも差し出されなかった。顔を赤く染めたテツくんはまるでませた少女のように見えて、その手にすら、触れるのはためらわれた。「私、テツくんと観覧車に乗るの、好きだよ」とも「次もいっしょに観覧車乗ろうよ」とも言えず、ちょうどカゴが下に着きそうなのを見て「もうすぐ着くね」としか出てこなかった。テツくんは迷ったように「うん」とだけ返事して、まだ早いのに立ち上がって、扉があけられるのを待った。もはや彼も何も言わない。無言のまま、外を眺めている。ときどき、その横顔がこちらを振り向きたがっているように見えるのは、きっと私が期待しているせいだろう。

 

観覧車に乗って

write:2012.10.09