目を覚ますとそこには真っ白な天井がありトミーロッドはそれと同じ色のベッドに横たわっているのだった。
見たことのない景色である。
そして瞬きをたっぷり四回して、ようやく自分の身体がひどい有様であると気付いた。
と言うか、思い出した。
あの闘いを。
身じろぎしてからそういえば胸から横腹にかけて穴が開いていたはずだと思ったが、それはごく薄い傷跡を残すのみで上手い具合に塞がっていた。
さすがに内臓の修復は追い付いていないのか細胞が懸命に働いている、そんな疼きがそこにある。
しかし見た目にはきれいなものだ。
では何がひどい有様であるか?
右腕が、なくなっていた。
まあそんなもの、あろうがなかろうが構いはしないのだが。
翅も片方ない。
こちらも、なければないでどうとでもなる。
「あれ」を産んで痩せ衰えたはずの肉はだいぶ元に戻っているようだし、おそらく久しぶりとなるのだろう目覚めにしては上出来だ。
トミーロッドは欠伸、そして伸びをひとつする。
「お目覚めになりましたか」
医師が話しかける。
天井、ベッドと同じ、白い服。
「何日経った?」
未だぼんやりとした頭で訊くが、医師は「それは然して重要なことではありません」と冷静に返した。
それもそうか。
なんて、頭が回っていないから何も考えず鵜呑みにする。
「重要なのは、代わりの腕です」
「代わり?」
「アルファロ様はトミーロッド様を連れ帰られる途中あなたの腕がないことに気付かれたそうですが、他の腕で代用出来るだろうとお考えになりそのまま戻っていらしたのです」
「へーえ」
さしてきょうみもないことだったのでトミーロッドは生返事を返した。
「そうなんだ」
「なので、代わりの腕が必要なのです」
「じゃあさっさとくっつけてよ」
「それが…」
医師は口ごもる。
なんだ?
言いたいことがあるなら言えば良い。
そう思って少し苛々したが、口には出さない。
起きたばかりでまだ眠いのだ。
「残念ながら、ここにはトミーロッド様のグルメ細胞に符合する右腕のストックがないのです」
「はぁ?」
なんだそれ。
呆れた。
「グリンパーチに合う腕はあるのに、ボクに合うのがないなんてふざけてるの?」
「誠に申し訳ありません…」
本当に申し訳なさそうに頭を垂れる。
そこで初めて医師は感情らしいものを見せた。
それを見て、トミーロッドはその女の名を思い出す。
さぁ、何年ここで医者やってんの。ボクに合う腕の一本や二本、用意しときなよ」
「申し訳ございません…」
同じせりふを繰り返していればボクが許すとでも思っているのだろうか、はただひたすらに頭を下げ続ける。
「左腕なら、あるのですが」
「は? 馬鹿? 左腕は二本も要らねーよ。グリンじゃあるまいし」
「申し訳ございません、…まさかトミーロッド様がこんな重傷を負って帰られるとは、露ほどにも思っていなかったので…」
「なに、ボクのせい?」
「いいえ、私の責任です」
「そうだろ? 分かってるなら何とかしろよ」
「…はい」
は身を縮こまらせる。
ああ、なんだか愉快だ。
「そうだ、の腕を頂戴よ」
思い付きで言ってみると、は困ったような顔をした。
「私もそう思って試してみたのですが…拒絶されてしまいました」
「ふーん。だから右腕がないんだ」
……って、
「は?!何それお前誰の許可得て腕失くしてんだよ!!」
「ひっ…も、申し訳ございません…!」
「それはもう聞き飽きた!何勝手にやってるんだって訊いてるだろ!」
何だこれ!
目が覚めて何が一番悪いことだったかって、腕がなくなってることなんかじゃなく自分の女が自分の許しなく片腕になっていたことだ。
「わ、私、トミーロッド様のお役に立てるならって、」
なんかがボクの役に立てることなんて限られてるだろ!」
お前はボクの下で無様に喘ぐのが仕事だろ!
そう言うと、は今度は今にも泣き出しそうな顔をした。
これは彼女の地雷だ。
「私はあなたの情婦である前に、医師です!」
「へー!医師!? 医師っていうのはボクのためとか言って勝手に腕をどぶに捨てる仕事のことか? そんな仕事なら辞めてしまえ!!」
「ひ、ひどい…!」
とうとうは泣き崩れる。
…少し、言い過ぎたかな。
でも撤回はしない。
本当にむかついてるんだから。
「………分かりました」
「え?」
涙をぼろぼろと零していたと思ったら、はそれを袖で乱暴に拭ってトミーロッドの顔を睨んだ。
「私、医師を辞めます」
それで、旅に出ます。
「………は、」
突然のその宣言はそして、と続く。
「そして、あなたの細胞に合う右腕を必ずや見つけて参ります」
「……ちょっと、何、まだこれ以上勝手する気? ってか今医者辞めるって言ったじゃん」
「これは医師としてではなく、あなたの情婦として言っているのです」
好いた男のために、旅に出るのです。
決意した様子でそう言うが否やは真っ白な部屋を飛び出して行った。
どこへ行ったのか。彼女は言ったことはすぐに実行してしまう性質であるからきっと本当に旅に出てしまうつもりなのだろう。
トミーロッドは途方に暮れる。
そんなことをさせたくて怒鳴ったわけではないのに!
伸ばしかけた左腕は空しく宙を引っ掻いた。
新しい右腕なんか必要ない。
お前は当てのない旅に出るなんて無謀なことはやめて、ずっとボクの隣りにいるだけで良いんだよ!
なんて思ってしまうあたりトミーロッドもまた、蟲である前にひとりの男なのであった。


write:20101108