彼女は僕の頬に手を危なげに寄せ、確かめるようにひと撫でしていった。
「濡れてる」
ひとりごとのように小さく呟いて、「雨が降ってるのね」と嫌そうな顔をする。
「今日は七夕なのに」
彼女が七夕伝説を信じているかどうかまでは分からないが、その言葉には雨が降って憂鬱である、以上の落胆が見て取れた。
薄らと閉じられた目蓋を濡れたままの親指でそっとなぞる。
彼女はもう一度「濡れてる」と呟いた。
「髪を、拭いてあげるわ」
危なげない足取りで脱衣所へと歩き、彼女はバスタオルを一枚取ってきた。
身体を洗われたあとの犬のような拭かれ方で雨粒をタオルに吸い取られる。
少し荒いタオルの生地が耳の薄い皮膚を何度も乱暴に掠めていった。
「ドライヤー、いる?」
一通り拭き終わったらしい、彼女はそう訊いてきたが僕はその肩を押して遠慮する。
ざあざあとさんざめく雨音が耳に心地好かった、このままでいたかった。
彼女は少しだけ首を傾げかけたあと、タオルを洗濯機に入れにかもう一度脱衣所に姿を消した。
目を閉じると背中と尻に感じる固いソファと足下のフローリング、そして雨
音だけが感覚を満たしていく。
音に耳を澄ましていくと傾いだ身体が次第に宙へと浮いていく錯覚を覚えた。
ふわふわとではない、すう、と、身体を支えているものすべての触感が失せて、中身だけが頼りなく浮かび上がってくる。
話に聞く、「幽体離脱」とはこんな感じなのだろうか。
目を開けて見下ろせば、目を閉じたままの自分が見えそうだ。
「…誉? 寝たの?」
いつの間に戻ってきたのか、彼女の声が耳の下あたりから聴こえてくる。
起きているよと返事しようか悩んだが、今、僕はそこにいない。
その少し上を、中身だけで当てもなく漂っている。
自由はまるで利かない。
彼女が僕の前髪を撫でる。
ふと不安になって目を開けると、それに気付かなかったのか髪を撫で付け続ける彼女が眼前にいて、何とはなしに安心した。
息を静かに吐き出しながらもう一度目を閉じる。
今年、彦星と織姫は出会えない。
それは残念に思うべきことかもしれなかったが、生憎僕は彦星じゃないし、彼女も織姫じゃない。
僕たちの間に天の川はない。
そこに優越を覚えることはなかったが、一年に一度も逢瀬を果たせない、彼らが自分たちでなくて良かったと安堵した。





七夕に目口なし


write:20110714